Carpe diem -ツインソウルへの考察-

暫定ツインソウルの2人がそれぞれ感じていることを書き連ねます。

新芽のゆくえ

インドの僻地でMr.Childrenが繋いでくれた私たちの新芽は今どれくらい育ったのだろうか

萎れずに枯れずに立派な木になっただろうか

その木はいつか鳥たちの止まり木となり、栗鼠たちの遊び場となり、厳しい太陽の日差しを避ける木陰を作り、誰かを癒せるのだろうか

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会えない期間と連絡を取らない時間によって、自然に定着していく彼の存在

離れて久しくなればなるほど染み込んでいく

煮物が冷めていくときに味が染みるように

気が付けば彼の思考や行動をしていたりする

 

会えないのだから会いたいと願い続けるのは苦痛になる

それをやめたら少し楽になった

私にできることは願うことではない

私にできることは、今、ここを生きること

それが彼と繋がるということなのかもしれない

 

彼の存在しない世界はとても穏やかだけれど少し退屈だ

 

その存在は日常に深く埋もれていきそうな私に一筋の光を指し示してくれる

この胃の痛みが命の限りのあることを教えてくれるように

 

そう、明日のことはわからない

でもそうやって今、今を繋げて、それが人生になっていく

 

さあ私たちは残された時間をどう生きようか

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もうすぐ彼に会える、多分。3か月半振りに。勿論嬉しい。けれど、それよりも別次元で私の魂が喜んでいるように感じる。

ふとドイツで私たちが再会するまでの経緯を思い出した。私は仕事を辞め中南米を旅しようと考えていた。そしてその前に友達に会うためフランスかスイスを経由しようと考えていた。そんな折2年振りに彼からのメール。しばらくhotmailなど見ていなかったのだが、なんとなく気が向いて見てみたら大量の迷惑メールに混じって彼からのメールがあった。ドイツで働いているという。元気そうで良かった。何故海外で働くことになったのかその経緯が面白そうだし話したいことがある気がして機会があれば会いに行ってみようと思った。そのメールは当時の私にとってヨーロッパへのほのかな追い風が吹いてきた程度の感じだった。

仕事を辞め、実家に戻るために引っ越しをしていた際、階段を踏み外し足をくじいてしまった。1ヶ月ほど歩くことも儘ならずヨーロッパ行のチケットが買えずにいた。ようやく怪我も癒えフランス行きのチケットを検討していた時、フランスの友達から連絡があり実家のタイにしばらく帰るよ、と。いつも詰めが甘い私は連絡を怠っていてそんな予定だとは知らずにいた。その知らせに撃沈していた時スイスの友達から電話がかかってきて叱咤激励される。「早くスイスへ来るチケットを買いなさい。今すぐスカイスキャナーで検索する!おいしいタイ料理を作ってあげるから」。英語は苦手だけれど久々に聞く彼女の声は私の心に直接響いた。コンビニの弁当で15分は迷えるほどの優柔不断の私が30分で高額なチケットを買っていた。そうして私はスイスへ行く運びとなった。

そして友達のいる町と彼のいる町はバスで4、5時間程度だ。私はその先この道のりを数回往復することになる。

私が捻挫したのも、フランスの友達が里帰りするのも、彼からのメールのタイミングも、それは単に偶然なのかもしれない。彼がドイツで初めて私の手を繋いだのも単に気まぐれなのかもしれない。ツインソウルもすべて、私の思い過ごしなのかもしれない。

でも、どこかで頑なに何かを信じている私がいる。

 

私は来週のマラソンを前に転んで膝に怪我をして今現在歩くのも儘ならない状況にある。1週間以上走っていない。そんな状況でフルマラソンを完走するなど奇跡が起きない限り厳しいと思う。

でも、私は走り切るだろう。そう信じる。

 

                           hoco