Carpe diem -ツインソウルへの考察-

暫定ツインソウルの2人がそれぞれ感じていることを書き連ねます。

クリスマスを前に思うこと

街のイルミネーションはやたらきらきらして無邪気にクリスマスソングが垂れ流されている。

そんな12月の夕方、私は喧噪から離れカフェで致死量の砂糖が入ったガトーショコラをちびちび食べながらいつ読み終わるかわからない分厚い本を開く。 f:id:carpediem1114:20171218012730j:plain

8年前のちょうど今頃私は癌の告知を受けた。

 午前診療の土曜日に病院から急遽電話で呼び出され、胃カメラの検査結果について知らせがあります、と。

結果は2週間後と聞いていたが3日後。一人暮らしだった私は寝起きで、嫌な予感を気のせいだと払拭しながら病院へ向かった。

近所の総合病院で私より若いと思われるその医師はちょっと言いにくいんですが…と前置きをして、

胃がんですね、大きい病院で診てもらってください」とさらりと言った。

告知、軽っ!

 

紹介状を書いてもらってる間に母親に電話をする。

「今、病院に来てるんだけど、私、胃がんらしい。」

そう言って言葉に詰まる。

どこからか嗚咽が聞こえてきたと思ったら、それは私だった。携帯を遠ざける。

「大丈夫、大丈夫やけん、とりあえず早よ帰って来んね」と母は言った。

私がこの病気で人前で泣いたのはこれが最初で最後だ。

 

診療時間が終わり静まり返った薄暗い待合室で、私と同世代くらいの夫婦がベビーカーに寝ている産まれて間もない赤ちゃんをあやしていた。

その光景に私は何の感情も無く、私にはこういうことはもう無いのだなとただ思った。

結婚して子供を産み育て、それが当たり前と刷り込まれて私は生きてきた。

そしてこれから先もちょっと遅くなるけどそういう道を歩むのだと漠然と思っていた。

が、その道は跡形もなく消えた。

悔しいとか悲しいとか、そんな感情すら持てなかった。

家までの帰路、現実なのか夢なのかわからずふわふわしていた。

 

実家に戻って大学病院で診てもらうまでの数日、私は死と向き合った。

それは生きていることを実感することだった。

木々や田んぼの緑、鳥のさえずり、夕日に染まる雲、自然が見せてくれる景色が今までに見たことないくらい、ただ純粋に美しかった。

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手術の後、身体中管に繋がれ朦朧とした意識と絶望の中、全く進まない時間がただただ早く過ぎてほしいと思っていた。その他のことは何も考えられなかった。

 そうして8年後、私は今ここに生きている。

 病気になったおかげで止めていた旅をまた始めた。憧れのラダックやマチュピチュ、ウユニ塩湖やキューバ中南米に行くことができた。たくさんの人たちと笑顔を交わした。

そしてツインソウルと思わしき人と再び出会えた。

 

毎朝目覚めることができたことに感謝をする。

窓を開けて外の空気を吸って空に向けてありがとうと言う。

生かされたこの命は何の為にあるのか。

支えてくれた人たちのために私には何ができるのか。

そんなことを考えている。

 

                     hoco

神の意図、ミドリムシの決意

午前四時半、暗闇の中。私は緑色のスリッパを枕にして布団の中で眠っていた。一体何が起きたのか、ここはどこなのか、記憶を呼び起こす。

解決していないはずの問題がLINEの中で決着していた。知らない私が会話をしていて、けれどそれは間違いなく私だった。

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ツインソウルと再会した。

来るか来ないかも分らないままその日は来た。どういうつもりか連絡が無いのだ。もしかしたら彼が来るというのは私の思い込みだったのかもしれない。仕事を終えて会社の人を飲みに誘おうかなとも思ったが踏みとどまり、携帯を見ると「用事があるので8時半までなら大丈夫です」と、彼から連絡があった。

はぁ?

何様なのでしょうか。

ぐぐぐぅっとそれを私の海の水深3,700m辺りに沈めて、何故かデパートに入り髪留めを買う。そして何か食べたいという彼の為に混み混みのデパ地下へ突入する。即撤退。

速足で彼のホテルへと向かう。電話するが繋がらない。別に。気にしない。むしろそれを楽しんでいる。ホテルの下でストーカーのように電話するが彼は出ない。あはは。

ようやく彼と久々の再会。熱い抱擁など無い。感動的なものは一切無い。ただ違和感も無いのだ。何なのだろうか、これは。お腹空いたと彼は私と歩幅も合わせずスタスタと歩く。私はこのためにフルマラソンを走ったと思えるほど、彼のスピードに合わせて小走りする。置いて行かれる気が全くしない。

 

彼といた少しの間私は多くのミッションをクリアした、つもりだ。

そのお陰かどうかは分からないが、見送りに行った空港で私は彼の完璧な愛を感じた。

また会えるかどうかわからない彼の乗った飛行機を見送った。

 

何事もなかったかのように家に帰ると孤独が爆発しそうになって、私は走りに出た。大好きな公園へ行った。都会には空が無いと思っていたが、ここにも美しい夕日があることを発見した。

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家へ戻りご飯を作って食べ、晩酌をして平和に週末を終えるはずだった。

それなのに私に何が起こったのか。

彼の置いていった大量のごみの中から、彼の書いた誰かに宛てた手紙が見つかった。私はただゴミを捨てようとしただけなのに。嫉妬などできる立場ではないが、自分がさっきまで感じていたものが幻のように感じられて私の感情が暴れ出す。

これは神の意図なのか。

 

不覚にも飲んでしまったようだ。こうしてスリッパを枕にして目覚めるまで私の記憶は無い。

彼と話をして私は納得したようだ。自分の直感を信じて良かったのだと私は腑に落ち眠りに落ちたのだ。今までとの違いは平和的に問題を解決しようとしていたこと。それは彼に会って愛が補充されていたからだろうか。

 

自分の直感で感じたものの方が、理性で考えたことよりも確かである気がする。

それは彼のことに限ったことではない。何かによって与えられる直感を大事にしたい。

理性や誰かの作った概念を捨てて新しい世界へ。

 

 

ドイツへ帰った彼からメールが届いた。

とても温まるメールだった。まだ始まったばかりの今年の冬を乗り切れられると思えるほど。

 

ミドリムシは思う。

きっと私は世界を変えられるのだ。

 

                                hoco

新芽のゆくえ

インドの僻地でMr.Childrenが繋いでくれた私たちの新芽は今どれくらい育ったのだろうか

萎れずに枯れずに立派な木になっただろうか

その木はいつか鳥たちの止まり木となり、栗鼠たちの遊び場となり、厳しい太陽の日差しを避ける木陰を作り、誰かを癒せるのだろうか

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会えない期間と連絡を取らない時間によって、自然に定着していく彼の存在

離れて久しくなればなるほど染み込んでいく

煮物が冷めていくときに味が染みるように

気が付けば彼の思考や行動をしていたりする

 

会えないのだから会いたいと願い続けるのは苦痛になる

それをやめたら少し楽になった

私にできることは願うことではない

私にできることは、今、ここを生きること

それが彼と繋がるということなのかもしれない

 

彼の存在しない世界はとても穏やかだけれど少し退屈だ

 

その存在は日常に深く埋もれていきそうな私に一筋の光を指し示してくれる

この胃の痛みが命の限りのあることを教えてくれるように

 

そう、明日のことはわからない

でもそうやって今、今を繋げて、それが人生になっていく

 

さあ私たちは残された時間をどう生きようか

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もうすぐ彼に会える、多分。3か月半振りに。勿論嬉しい。けれど、それよりも別次元で私の魂が喜んでいるように感じる。

ふとドイツで私たちが再会するまでの経緯を思い出した。私は仕事を辞め中南米を旅しようと考えていた。そしてその前に友達に会うためフランスかスイスを経由しようと考えていた。そんな折2年振りに彼からのメール。しばらくhotmailなど見ていなかったのだが、なんとなく気が向いて見てみたら大量の迷惑メールに混じって彼からのメールがあった。ドイツで働いているという。元気そうで良かった。何故海外で働くことになったのかその経緯が面白そうだし話したいことがある気がして機会があれば会いに行ってみようと思った。そのメールは当時の私にとってヨーロッパへのほのかな追い風が吹いてきた程度の感じだった。

仕事を辞め、実家に戻るために引っ越しをしていた際、階段を踏み外し足をくじいてしまった。1ヶ月ほど歩くことも儘ならずヨーロッパ行のチケットが買えずにいた。ようやく怪我も癒えフランス行きのチケットを検討していた時、フランスの友達から連絡があり実家のタイにしばらく帰るよ、と。いつも詰めが甘い私は連絡を怠っていてそんな予定だとは知らずにいた。その知らせに撃沈していた時スイスの友達から電話がかかってきて叱咤激励される。「早くスイスへ来るチケットを買いなさい。今すぐスカイスキャナーで検索する!おいしいタイ料理を作ってあげるから」。英語は苦手だけれど久々に聞く彼女の声は私の心に直接響いた。コンビニの弁当で15分は迷えるほどの優柔不断の私が30分で高額なチケットを買っていた。そうして私はスイスへ行く運びとなった。

そして友達のいる町と彼のいる町はバスで4、5時間程度だ。私はその先この道のりを数回往復することになる。

私が捻挫したのも、フランスの友達が里帰りするのも、彼からのメールのタイミングも、それは単に偶然なのかもしれない。彼がドイツで初めて私の手を繋いだのも単に気まぐれなのかもしれない。ツインソウルもすべて、私の思い過ごしなのかもしれない。

でも、どこかで頑なに何かを信じている私がいる。

 

私は来週のマラソンを前に転んで膝に怪我をして今現在歩くのも儘ならない状況にある。1週間以上走っていない。そんな状況でフルマラソンを完走するなど奇跡が起きない限り厳しいと思う。

でも、私は走り切るだろう。そう信じる。

 

                           hoco

月が綺麗ですね

ツインソウルさま

あなたが何気なく呟いた「満月がきれい

その言葉にそこはかとない嬉しさを感じました


偶然得たネットの情報で夏目漱石が"I love you"のことを「月が綺麗ですね」と言ったとか、言わなかったとか。

私はそれが誰の言葉であろうと、とても素敵な訳だと思います。

そして、私ならどう訳すだろうと考えています。

ふと思い浮かんだのは、2005年12月インドのデリーからジャイプルへ向かう早朝の列車の中から見た美しい朝日。

26年間生きてきて初めて、特定の誰かにこの景色を見せてあげたいと思った経験でした。

それは今思えば"I love you"の赤ちゃんみたいなものだったと思っています。

その数週間前、初めてインドであなたに出会った日。小さな食堂の屋上で赤いプラスチックの椅子に座り、あなたはMr.Childrenの新曲を聴かせてくれましたね。太陽が柔らかく私たちを照らしていました。

私とあなたを繋げたもの。

そして12年という歳月が流れお互いにいろんな選択をして経験をして今私たちはここにいます。

8年間全く連絡を取り合っていなかった時、空を見上げてふと何故だかあなたのことを思い出して元気でいてくれているといいなと思っていました。

不思議とただ純粋に繋がっているような気がしていました。

根拠らしきものはインドの後に再会したバンコク。カオサンの喧騒から少し離れたベンチに2人座り、沈黙の後「私、今こんなことを考えたんだよ」と言うと「何で?僕も今同じこと考えた」そう言ったあなたがいました。

ツインソウルという言葉を知るずっと前のこと。

「愛している」は愛を語る上で最上級の言葉だとは認識していて、私も使ってみたりもしたのですが、やはり違和感を覚えます。

先に書いた「月が綺麗」が"I love you"という方がしっくりきます。

私の場合は「夕日が綺麗」や「朝日が綺麗」かもしれません。

あなたなら"I love you"をどう表現しますか?

会えない時間が私たちを濃密にする

私もあなたも不完全です。

でも出会えたことで、いや出会えただけでは余り変わらなかったけれど
ツインソウルという言葉を知り、目覚め、気付かされ
私たちは今変わり始めています。

あなたにはとても感謝しています。
「世界は今、ここにある」と言うことを教えてくれたから。
(そして尋常でない忍耐も)
この気づきとこの想いが、消えないようにそっと祈ります。

私の目の前にあなたがいて
あなたの目の前に私がいるよ。

おやすみなさい。
今宵の月は特別綺麗です。

                  hoco

孤独なレースは続いてく

フルマラソンを7週間後に控え、人生で初めて20キロ走ってみた。

いつも走り始めに張り切って疲れるので、今回は息が上がらぬよう鈍足で。

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 このブログの趣旨のツインソウルとは関係ないようにも思えるが、完走しなければ手放す、その覚悟で私は挑むのだから大いに関係はあると言えるだろう。

数か月前ツインソウルの彼がハーフマラソンを走るというので、私も一緒に走っていた。自己満足でしかないが彼が頑張っているのならその苦しみや喜びを共有したいと思ったのだ。毎日10キロを走り、彼のマラソン当日にも人生最長の15キロを走り脚を痛めた。それ以来走ることを止めていたのだが、思いがけずマラソンの抽選に当たり、真剣に走らざるを得なくなった。

元来私は長距離向きな人間ではない。学生時代から瞬発力だけは人並み以上にあったが、持久力は皆無だった。それは身体的に限らず精神的にもそうなのだけれど。

そんな私が以前100キロ歩く大会に参加したことがあった。25時間かけて完歩した。事前に練習はしていたが、歩くことに関してそれほど技術は必要ないように思う。ただ根性と覚悟さえあれば歩ける。それでもやはり尋常ならざる辛さがあったけれど。

それをやり遂げた時、強い達成感があり次はフルマラソンだ!と思っていた。それから8年。

 

フルマラソンは根性だけで乗り越えられるのか?タイムさえ気にしなければ?

私の目標は歩かずに完走すること。一応、大会の制限時間は7時間。普通に考えれば余裕なのだろうが、私は今日の鈍足の20キロですらヘロヘロになった。15キロ過ぎた辺りからもう辛い、止めたいと何度も思った。この倍の距離など無理に決まってる、と。

けれど、この1歩1歩、足を踏み出すことで遥か遠くに見えていた信号はいつの間にか目の前にある。

後ろを振り返れば、それまでの私の軌跡があるのだ。

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誰もいない海岸線。昔から何かあるとここへ来てひとり海を見ていた。私にとってのガンジス河、聖地。

今日は生憎曇り空だがそれでも十二分に美しい。ツバメたちが目の前を低空で飛び、私を導く。ひばりが美しい声で鳴き、麦の緑が艶やかだ。

いつの日にか彼に、私が世界一だと信じているこの海の夕日を見せてあげたいと思った。

町の一番南から一番北までを走った。今まで行ったことのない道を走っていたら夕方散歩する手を繋いだ父子やらおじいちゃんと犬やら微笑ましい光景があり、久々に嗅いだ大好きな金木犀の香りに夢見心地になった。心拍数を上げて走っていたら出会えないものたち。

 

走ったら走った分だけ筋肉が付き強くなる。それを次に走る時に実感する。身体は裏切らないのだと感動する。自分を信じることも儘ならないのだが、自分の身体は信じていいのだ。

私の胃も然り。私は諸事情により胃の3/4を失ったが今では人並に食べられるし、困ったことに余裕で太る。人体ってすごいのだ。

精神的に病んでいる時には、いの一番に胃が痛むのだけれど。

 

それよりも何よりも胸のクーパー靭帯が心配だ。

私の厳しいツインソウルは垂れた胸など許してくれないだろうな。

良いスポーツブラを見つけることが先決かもしれない。

 

「勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく」

                                                                                 hoco

覚悟なき者は去れ

ツインソウルとはやっかいだ。

出会わない方が普通の幸せを手にできると思う。

それは重々承知している。

でも知ってしまったからにはもう普通ではいられないのだ。

前にも書いたが、私たちは恋人ではない。お互い独身で自由の身だ。

今日、何故か結婚する覚悟はあるのかと問われた。私はあると答えた。

苦しいことの方が多いかもしれないが、私には覚悟がある。根拠は1mmも無い。

そして再び問われる。浮気もするかもしれないんだよ、と。

ん?

何を言っているのだろうと頭の回転の遅い私は戸惑い、徐々に動悸がしてきた。

嫌だ嫌だ嫌だ!嫌に決まっている。もし許せたとしても、それが前提としてあると言われれば否定する。私はマザーテレサではない。憧れはあるが。

神様は私を試しているのかもしれない。ツインソウル(暫定)という彼を使って。

私に乗り越えなさいと言っているのか、それとも手放しなさいと言っているのか。

 

私は束縛をしない。されるのが嫌いだし、そもそも魂は自由だ。

きっといつかの前世で監獄に入れられて出ることができないまま一生を終えたのではないかと思っている。

だからと言って浮気を肯定はできない。

と、書いている自分が何だろう、臭うぞ、嘘くさい。

まず、浮気って言葉がおどろおどろしい。

今まで私は浮気をされたことがないという平和ボケした人間だ。実際知らないだけじゃないかという意見は置いておいて。だから私にとって浮気というのは机上の空論で直面してみないと正直わからない。誰かを悲しくさせることになるのなら私はしたくないけど。

浮気=セックスと定義したとして、確かにたかがセックスとも言える。

男性には子孫を残したいという本能があるからしょうがないって世間一般で言われるけどその言い訳なんかださい。

セックスはスポーツだ!と公言する人がいたが、それはもう1周回ってさわやかだ。

私にとって魂が通わないセックスにもう意味はない。ツインソウルに出会ってそう感じた。

もっと深いところに辿り着きたいのだ。

ツインソウルに出会えばもう余白がない。少なくとも私には。今まで散々思ってきた、もっといい人がいるかもしれない、その逃げ道がなくなった。

自分の理解できる範疇を超えているから、それは違うと結論付けて終わらせる。それもツインソウルに出会ってからできなくなった。

私にとっては超超超超無茶苦茶だと思える彼の理論(浮気なんてかわいいもの)も、否定せず一旦受け入れてみることにした。それがきっと私の視野を拡げることになるのだろう。

まあ、彼には私の声はあまり聞こえていないようだが…。

 

私の魂は今この身に宿っている。この身体はいつか朽ちる。

そしてまた別の誰かとして生まれる。

私がすべきことは、今ここにあるこの私を懸命に生きること。

魂を成長させるため。いつか宇宙とひとつになるため。

 

あなたの言葉の真意を辿るよりも、もっとたいせつなものがある。

言葉は表面的、決して万能ではない。

されど生身の身体を持った不完全な人間だからこそ、必要なものでもある。

三次元の私たちには、抱きしめあうこと、愛の言葉も必要。

だからこそ私たちには、この耳や声や、肌の柔らかさや温もり、唇、舌、瞳がある。

あなたを感じるために。

 

魂は繋がっていても、この手は、あなたの肌に、触れたいのです。

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今日久しぶりに10km走った。上記の件で悶々としていたのもある。

が、それよりも初のフルマラソンまで2ヶ月を切っているのだ。

焦る。体調不良や天候不良、毎日往復3時間以上の通勤、そんなものを盾にして私は走ることから逃げていた。

走っている時は3キロだろうが苦しい。そんな私が42.195キロ走れるのだろうか。全くもって未知の世界である。けど走り終えた先に自分が何を感じるのか、それが知りたい。

それはツインソウルに対しても同じかもしれない。ただ知りたい、どう感じるのか、純粋に。

走るか、倒れるか、その覚悟だ。完走できなければ、私は手放す。

苦しみの中であなたのことを想った。走ることで浄化され、くたくたになった身体と共にそこに残ったのはあなたへ愛。

ツインソウルという言葉に私自身縛られていたのではないかと思う。

 

忘れていた、とてもたいせつなこと

星空は美しいこと

走った後に飲むアクエリアスが世界一おいしいと感じること

台風が残していった風が心地良いこと

この星空を見せてあげたいと思う人がいること

ツインソウルがいなくたって、私は今を生きている

 

大量の汗が台風の残風に冷やされていく。

星空に混ざった、上海から大阪へ向かう飛行機を見送る。

 

私は問う。

「あなたには覚悟はあるのですか。」

                                                                          hoco

 

 

Re: いとしきツインソウルさま

私たちがツインソウルかもしれないということを彼女に告げられて早半年。
その間にツインソウル関連の本やブログを数多く読んだ。
確かに、私たちの不可解な関係はツインソウルという概念によっていくぶん納得がいくものとなる。

彼女と出会ったのは2007年11月、北インドにあるダラムサラという街だった。
私のとっては初の海外一人旅。最初に訪れた街で、その旅で最初に声をかけた人物だった。
その翌年タイで会った後、7年間会わない時期があり、2015年に京都で再会した。

昨年7月、どういうわけか、彼女がミュンヘンにいる私のところに訪問にきてくれた。
そこで彼女の手を握ることになってから、お互いの人生が音を立てて動き出した。
どうひっくり返しても、元には戻れないという程度に。

世間では、ツインソウルのことを書いたブログをツインブログと呼ぶらしい。
私たちは自身の関係を理解するためにツインブログから情報を集めている。
ただ気づいたのは、そのほとんどが女性によって書いているということ。
書き手もツインソウルと出会っているのであれば、その片割れは何をしているのであろうか。

このブログは、ツインソウルの双方が記事を書くという点で、他とは違ったものである(と思いたい)。
天が与えてくれたこの二つの目のおかげで世界が立体的に見えるように、
ツインソウルの双方の観点からこの関係を観察することにより、
ツインソウルの本質がより理解しやすいものとなればと思っている。

彼女はパソコンを持たないにもかかわらず、スマホでブログを立ち上げ、最初の記事を書き上げた。
なので、私もそれに応えたいという気持ちはあるのだが、
正直どのように書けばいいのかよくつかめず、数日間静観していた。
どういう立ち位置で、誰に向けて書くのかということが。

ただ、書き連ねたものが、私たちの足跡となるようなものにできればと思っている。
また、今起こっていることだけではなく、これまでの10年間についても書いていこうと話している。
お互いが知らないところでそれぞれ何をしていたのか、このブログを通じて明かされていくことになる。
村上春樹パラレルワールドのような面白いものになればいいのだが。

ひとまず、初回の記事を書き終えた。
それでは、いとしきツインソウルさま、どうぞよろしくお願いいたします。