孤独なレースは続いてく
フルマラソンを7週間後に控え、人生で初めて20キロ走ってみた。
いつも走り始めに張り切って疲れるので、今回は息が上がらぬよう鈍足で。
このブログの趣旨のツインソウルとは関係ないようにも思えるが、完走しなければ手放す、その覚悟で私は挑むのだから大いに関係はあると言えるだろう。
数か月前ツインソウルの彼がハーフマラソンを走るというので、私も一緒に走っていた。自己満足でしかないが彼が頑張っているのならその苦しみや喜びを共有したいと思ったのだ。毎日10キロを走り、彼のマラソン当日にも人生最長の15キロを走り脚を痛めた。それ以来走ることを止めていたのだが、思いがけずマラソンの抽選に当たり、真剣に走らざるを得なくなった。
元来私は長距離向きな人間ではない。学生時代から瞬発力だけは人並み以上にあったが、持久力は皆無だった。それは身体的に限らず精神的にもそうなのだけれど。
そんな私が以前100キロ歩く大会に参加したことがあった。25時間かけて完歩した。事前に練習はしていたが、歩くことに関してそれほど技術は必要ないように思う。ただ根性と覚悟さえあれば歩ける。それでもやはり尋常ならざる辛さがあったけれど。
それをやり遂げた時、強い達成感があり次はフルマラソンだ!と思っていた。それから8年。
フルマラソンは根性だけで乗り越えられるのか?タイムさえ気にしなければ?
私の目標は歩かずに完走すること。一応、大会の制限時間は7時間。普通に考えれば余裕なのだろうが、私は今日の鈍足の20キロですらヘロヘロになった。15キロ過ぎた辺りからもう辛い、止めたいと何度も思った。この倍の距離など無理に決まってる、と。
けれど、この1歩1歩、足を踏み出すことで遥か遠くに見えていた信号はいつの間にか目の前にある。
後ろを振り返れば、それまでの私の軌跡があるのだ。
誰もいない海岸線。昔から何かあるとここへ来てひとり海を見ていた。私にとってのガンジス河、聖地。
今日は生憎曇り空だがそれでも十二分に美しい。ツバメたちが目の前を低空で飛び、私を導く。ひばりが美しい声で鳴き、麦の緑が艶やかだ。
いつの日にか彼に、私が世界一だと信じているこの海の夕日を見せてあげたいと思った。
町の一番南から一番北までを走った。今まで行ったことのない道を走っていたら夕方散歩する手を繋いだ父子やらおじいちゃんと犬やら微笑ましい光景があり、久々に嗅いだ大好きな金木犀の香りに夢見心地になった。心拍数を上げて走っていたら出会えないものたち。
走ったら走った分だけ筋肉が付き強くなる。それを次に走る時に実感する。身体は裏切らないのだと感動する。自分を信じることも儘ならないのだが、自分の身体は信じていいのだ。
私の胃も然り。私は諸事情により胃の3/4を失ったが今では人並に食べられるし、困ったことに余裕で太る。人体ってすごいのだ。
精神的に病んでいる時には、いの一番に胃が痛むのだけれど。
それよりも何よりも胸のクーパー靭帯が心配だ。
私の厳しいツインソウルは垂れた胸など許してくれないだろうな。
良いスポーツブラを見つけることが先決かもしれない。
「勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく」
hoco