クリスマスを前に思うこと
街のイルミネーションはやたらきらきらして無邪気にクリスマスソングが垂れ流されている。
そんな12月の夕方、私は喧噪から離れカフェで致死量の砂糖が入ったガトーショコラをちびちび食べながらいつ読み終わるかわからない分厚い本を開く。
8年前のちょうど今頃私は癌の告知を受けた。
午前診療の土曜日に病院から急遽電話で呼び出され、胃カメラの検査結果について知らせがあります、と。
結果は2週間後と聞いていたが3日後。一人暮らしだった私は寝起きで、嫌な予感を気のせいだと払拭しながら病院へ向かった。
近所の総合病院で私より若いと思われるその医師はちょっと言いにくいんですが…と前置きをして、
「胃がんですね、大きい病院で診てもらってください」とさらりと言った。
告知、軽っ!
紹介状を書いてもらってる間に母親に電話をする。
「今、病院に来てるんだけど、私、胃がんらしい。」
そう言って言葉に詰まる。
どこからか嗚咽が聞こえてきたと思ったら、それは私だった。携帯を遠ざける。
「大丈夫、大丈夫やけん、とりあえず早よ帰って来んね」と母は言った。
私がこの病気で人前で泣いたのはこれが最初で最後だ。
診療時間が終わり静まり返った薄暗い待合室で、私と同世代くらいの夫婦がベビーカーに寝ている産まれて間もない赤ちゃんをあやしていた。
その光景に私は何の感情も無く、私にはこういうことはもう無いのだなとただ思った。
結婚して子供を産み育て、それが当たり前と刷り込まれて私は生きてきた。
そしてこれから先もちょっと遅くなるけどそういう道を歩むのだと漠然と思っていた。
が、その道は跡形もなく消えた。
悔しいとか悲しいとか、そんな感情すら持てなかった。
家までの帰路、現実なのか夢なのかわからずふわふわしていた。
実家に戻って大学病院で診てもらうまでの数日、私は死と向き合った。
それは生きていることを実感することだった。
木々や田んぼの緑、鳥のさえずり、夕日に染まる雲、自然が見せてくれる景色が今までに見たことないくらい、ただ純粋に美しかった。
手術の後、身体中管に繋がれ朦朧とした意識と絶望の中、全く進まない時間がただただ早く過ぎてほしいと思っていた。その他のことは何も考えられなかった。
そうして8年後、私は今ここに生きている。
病気になったおかげで止めていた旅をまた始めた。憧れのラダックやマチュピチュ、ウユニ塩湖やキューバ、中南米に行くことができた。たくさんの人たちと笑顔を交わした。
そしてツインソウルと思わしき人と再び出会えた。
毎朝目覚めることができたことに感謝をする。
窓を開けて外の空気を吸って空に向けてありがとうと言う。
生かされたこの命は何の為にあるのか。
支えてくれた人たちのために私には何ができるのか。
そんなことを考えている。
hoco